映画「スケーターボーイ」完成

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去年の3月11日に東京で被災しました。

僕は東京も被災地だと思っています。

経験したことがないくらい大きい地震が起きた後

仕事が終わって

たまたまあった自分の自転車で

まず1歳の娘の保育園へ向かいました。

この時点で、すべての携帯と電車がすべてストップしていました。

そして偶然にも妻に保育園で会い

そこから一緒に歩いて自宅まで1時間半かけて帰りました。

東京の甲州街道が、徒歩で帰る人々で埋め尽くされている。

見たこともない光景でした。

余震を感じながら外食をして

家に帰るとテレビから出てくる映像は

見たこともない大きい津波が町を覆い尽くす映像でした。

その日からテレビの前で、またはパソコンの前で

ただ増えていくばかりの死者の数と福島原発の様子を見て

涙があふれてくる日々が続きました。

電車も動くのか分からず、津波の映像ばかり流れるテレビを見て

家の中にストレスが溜まり、報道にもあったように(全国の多くの子供たちが体調不良になったニュース)

娘が高熱(40度以上)を出して

早朝から病院に駆け込む事態になりました。

次の日仕事へ行くと

「娘さん、体弱いっすね」と言われたけど。



自分が何もできないことに

いつも苛立ちを感じていました。

法律を管理するわけでも、人の命を助ける仕事をしているわけでもないから

ただ立ち尽くして、見るしかなかったわけです。

米を送ったり、カイロや電池を送ったりしたけど

映画を撮りますって、何もできないよなと思ったんです。



それから色んな事が整理をつけることができないまま

夏前に「珈琲焙煎」という映画を撮り

今回「スケーターボーイ」という映画を撮りました。



そしてひとつわかったことがあります。



地震があって一番心配したのは誰でしたか?

僕は家族でした。

当然だと思います。

それは東北の津波の被害にあった人や

原発のせいで急に避難しろと言われた人たちだって

一緒だったはず。



あの日、電気もなく家もなく

真っ暗で寒い中

自分の手から、祖父の命が少しずつ消えていった話を読んだとき

こういう思いをした人たちに少しでも

「癒し」となる作品を提供できたらと思ったのです。



あの人に会いたい

あの人の事が好きだ



そういう当たり前のことを、強く考えさせられた経験でした。




また、世界でも数少ない原爆投下を経験している街で

生まれ育ったにもかかわらず

原発について何も考えてこなかった自分を恥ました。

それも、被爆者の話を何度も聞いてきたにもかかわらず、です。





「スケーターボーイ」は作品です。

当然、賛否ある意見が出てくると思います。

でもそんなことは、僕にとって関係ない。

世界のどこかで、寂しい想いをしている人が

「スケーターボーイ」って作品が好き

と言ってくれると思うからです。

そういう作品が作れたと自信を持って言えます。



最後に

この作品に参加していただいた

または協力していただいた方々

この場でも改めて、お礼申し上げます。

ありがとうございました。




正しいことを言ってることが

ちゃんと反映される

そんな世の中になるよう

生涯かけて

尽くしていくつもりです。









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監督ちゃん

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第1回知多半島映画祭 入選(2011年)
福岡インディペンデント映画祭2011 奨励作品賞
ひろしま映像展2011 入選
第1回いわきぼうけん映画祭入選(2011年)
第5回新城ムービングイメージフェスティバル入選(2010年)
ひめじ国際短編映画祭2008入選

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